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提言 48
JARL75周年小笠原運用を考える
2002−8-29
2002−8−30 加筆

JARL75周年小笠原運用を考える
 
JARLが75周年を迎えることはJARLは勿論のこと、日本のアマチュア無線にとっても記念すべき素晴らしいことです。
そして、それを記念して何かのイベントを行うことは大いに意味があると思います。 JA1ELY局の発案による小笠原へのペディションもそのイベントとしては相応しいと思っています。
当初、特別コールとしてJD75Aを求めていたようですが残念ながら総務省ではこのコールの発給はできなかったようです。
どのようなコールになるのか興味をもって見守っていましたが、8N1OGAと決ったと聞いて驚いています。

まず、少し小笠原の歴史を見てみましょう。 小笠原諸島がアメリカから日本に返還されたのが今から34年前の1968年。 返還を記念してその翌年JARLによってJD1YABの運用が行われました。
さて、小笠原が日本に返還されるにあたって困った問題が持ち上がったのです。 それは、当時のDXCCクライテリアから見ると日本に返還されるとなると別カントリー(現在はエンティティー)として存続する条件が失われることになるのです。 JARLならびに日本の著名なDXerはそれは日本にとっては損失になるといろいろと考え、ARRLからそのまま別カントリーにしてもらう為の交渉で、本土と異なるプリフィックスを使うということが条件づけられました。 
そこで、JARLは郵政省に頼み込みJD1のプリフィックスを特別に小笠原諸島全域に割り当ててもらったのです。 そして、JARLをあげてJD1YABの記念すべきDXペディションが行われました。 
時に1969年8月のことです。
小笠原にJD1のプリフィックスが割り当てられたのにはこのような歴史的背景があったのです。
それ以来、既に33年間多くのアマチュア局によってJD1のプリフィックスを使った運用が行われてきました。
勿論世界的にもJD1と言えば直ぐに小笠原そして南鳥島が頭に浮かぶ存在になってきたのです。
今回惜しくもJD75Aのコールが発給されないことが濃厚になったので、私はJD1YABのリバイバル運用を提言しました。 これは私に限らず総務省の関係者もJARLに対してJD1での運用を提案をしていたそうです。
JARLの75周年行事として33年前のことを回顧し、同じコールサインで運用することでこの33年間におけるアマチュア無線の進歩を考えるという意味ある運用ができると思ったのですが。
多くの人のアドバイスにも関わらずJARLは頑なに「特別コール」に拘り8N1OGAを求めそのとおりのコールが発給されました。
さて、ここで考えなければならないのはJARL即ち、アマチュアが望んで求めたJD1のプリフィックスをJARLそのものが最終的に求めなかったことです。
34年間小笠原はJD1として運用を続けてきたものが本土と同じプリフィックスを求めたということではJARLが返還当時JD1を強く求めた根拠を失なわさせることにはならないでしょうか。 これは将来大きな問題とならないと言い切れるでしょうか。
今日現在(8月29日)総通と話した限りではコールサインの変更は不可能ではないとのこと、私はJARLに対して強く再考を求めました。 
8月30日に海江田専務理事より電話があり、この意見は会長に伝えたがこのまま8N1OGAを使ってペディションを行うことが確認されたとのこと。
JARLの会長の判断で行ったこととして記憶に残しておきましょう。
何れにしろ、ペディに参加する方々にはできるだけ多くの局にサービスしてくれることを期待しましょう。

JD1YABを思い出そう。
1969年8月、あの時のメンバーは隊長JA1ZZ、そしてJA1AEA、JA1MIN、JA2UI、JA4BJO、JA9AG。。。。
当時はそれなりに有名なDXサーを揃えた布陣だった。 交通手段も貧しく漁船に毛のはえたような船で確か3日ほどの船旅だった。
規制も厳しく宿泊施設も貧弱でほぼテント状態の場所での運用だった。 この時、日本で初の本土以外のカントリーが誕生したのです。(JD1YAAとほぼ同時に運用)
JARLが今、75周年を迎える時、この小笠原でのJD1YABの運用の意味を再確認する絶好の機会だったのにJD1YABのコールの再現が無かったことはまことに残念に思えます。