熱・統計力学


0.熱力学の基本法則

 力学や電磁気学などは、時間の向きを変えても基礎方程式の形は不変であり、その意味でこれらの理論は時間反転に対して不変な理論です。ところが現実の世界の現象は、「覆水盆に返らず」の諺に代表されるような、非可逆なプロセスに満ちています。この非可逆な現象を定式化し、その性質を調べるのが熱・統計力学です。

 さて、熱・統計力学では、考察する系 s に対して熱力学的状態(以下単に状態とよびます)の集合 Σ(s) というものが与えられていて、各状態 Σ(s) における接ベクトルに対し、その向きが断熱的に変化可能な方向であるかないかということが定まっているものとします。断熱的に変化可能な方向への無限小変化を断熱変化とよびます。
 また Σ(s) に描かれた向きの付いた曲線を状態曲線といい、その正の向きの接ベクトルがすべて断熱的に変化可能な向きであるとき断熱過程とよびます。また、状態 a を始点、状態 b を終点とする断熱過程 C が存在するとき ab断熱的に変化可能であるといって a £ b と書くことにします。関係“£”は明らかに擬順序になりますが、可逆な断熱過程というものもありうるので、順序になる、すなわち a £ b , b £ a Þ a = b が成り立つとは限りません。

 さて、状態 a は、操作可能な自由度とそうでない自由度を持つものとし、前者をまとめて x と書き、この各変数を本稿では仮に操作可能な変数とよび、後者をまとめて λ と書き、その各変数を仮に操作不能な変数とよぶことにしましょう。
 ただしここで、変数群 x操作可能であるとは、任意の状態 a º s(x, λ)x の任意の無限小変化 dx に対し、a から a' º s(x+dx, λ') への無限小変化が断熱変化になるような λ' が存在するということを意味します。
 以下、これら変数の組で定まる状態のことを s(x, λ) と書くことにします。また、状態の関数のことを状態変数とよびます。

 さらに、系 s が操作可能な変数 x と操作不能な変数 λ を持ち、系 s' が操作可能な変数 x' と操作不能な変数 λ' を持つとき、ss'合成系とよばれる系 s+s' が存在し、その自由度はそれぞれの自由度を合わせたもの、すなわち操作可能な変数として (x, x') 、操作不能な変数として (λ, λ') を持つものとします。また、合成系の状態 (s+s')((x, x'), (λ, λ')) のことを、2つの状態 a º s(x, λ)b º s'(x', λ')合成状態とよび、a+b とも書くことにします。

 以上の準備のもとで、まず次の法則を仮定します:


 熱力学の第1法則

 任意の状態に対し、内部エネルギーとよばれる状態変数 U が存在し、2つの状態 ab に対する加法性

(U)  U(a+b) = U(a) + U(b)

および、断熱変化に対するエネルギー保存則

(E)  dU = åi Xidxi        æ
è
 Xi º U(s(x, λ))
————–
xi
  ö
ø

が成り立つ。

 この中で、各 Xi のことを xi共役な力とよびます。ここで任意の無限小変化 s(x, λ) ® s'(x', λ') に対し、系になされる仕事 d'W 及び、系に流入する d'Q とよばれる1次微分形式を

(W)  d'W º U(s(x', λ)) - U(s(x, λ)) = åi Xidxi

(Q)  d'Q º U(s(x, λ' )) - U(s(x, λ))

で定義すると、明らかに

(T)  dU = d'W + d'Q

が成り立ち、(E)d'Q = 0 と書くことができます。ちなみに d'Wd'Q というのは WQ という関数の微分という意味ではなく、d'Wd'Q で一つの微分形式を表わす記号です。

 さて、熱・統計力学では更に、系 s において、操作可能な変数の値 x と実数 u が与えられ、U(s(x, λ)) = u を満たす状態 s(x, λ) の全体を Σ(s, x, u) と書くとき、Σ(s, x, u) において、擬順序 £ に関する最大値 s(x, λx,u) º max Σ(s, x, u) が唯一つ存在するものと仮定します。この最大値を xu に対する平衡状態といいます。
 また、2つの平衡状態 a º s(x, λx, u)b º s'(x', λ'x', u') は、合成状態 a+bΣ(s+s', (x, x'), u+u') の平衡状態になっているとき等温であるといいます。

 さて、熱・統計力学では第1法則に加えて更に次の法則を仮定します:


 熱力学の第2法則

任意の状態に対し、エントロピーとよばれる状態変数 S が存在し、2つの状態 ab に対する加法性

(S)  S(a+b) = S(a) + S(b)

および、断熱変化に対するエントロピー増大則

(I)  dS ³ 0

が成り立つ。

 本稿では以上の仮定のもとで、まず最初に温度を初めとするいくつかの熱力学的諸関数を定義し、それらの性質を調べます(第1節〜第3節)。

 さて、上記の2法則のうち、第1法則は、内部エネルギーという概念が存在することを主張するもので、力学にも電磁気学にもエネルギーという概念が存在することから、比較的馴染みやすい法則です。ところがこれに対し、第2法則にはエントロピーという馴染みのない概念が含まれています。この概念を、より根源的な概念に還元することはできないでしょうか。

 一つの方法は、エントロピーの概念を含まないKelvinの原理とよばれる原理からエントロピーの存在を導く手法で、この手法を第4節で紹介します。このような議論を熱力学とよぶことがありますが、平衡状態(およびそれらの有限個の合成状態)に対するエントロピーの存在しか保証されなかったり、そもそもKelvinの原理自体が力学や電磁気学から導出できるわけではないので、根源的な還元にはなりません。

 そこで、確率論の考え方を導入して直接エントロピーを具体的に定義する方法が研究され、統計力学とよばれています。これには古典論をベースにしたBoltzmannのエントロピーと、量子論をベースにした量子論的エントロピーを用いる理論があり、前者を第5節と第6節で、後者を第7節以降で解説します。

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