熱・統計力学


9.量子統計力学

 量子論においては、一般に物理量は可分な複素ヒルベルト空間 H における自己共役演算子 A によって与えられ、状態が | のときの物理量 A観測値áj|A| で与えられます。

 ところで、観測時点における状態が不明で、ある完全正規直交系 φÎΦ のいずれかであることはわかっているが、そのうちのいずれであるかはわからず、ただ |jiñ である確率 pi だけはわかっているものとすれば、物理量 A の観測値の期待値 áAñ

(9-1)  áAñ = åi pi áji|A|jiñ

で与えられます。ここで、密度演算子 ρ

(9-2)  ρ = ρ(φ, p) º åi |jiñ pi áji|

でで定義すれば、

(9-3)  tr (ρA) = åi tr ( |jiñ pi áji| A ) = åi tr ( pi áji|A|jiñ ) = åi pi áji|A|jiñ = áAñ

が成り立ちます。このように、密度行列 ρ は、考察している状態に対して観測者が持っている情報を表わしており、その情報のもとである物理量 A を測定した場合の期待値が ρA の積の跡で与えられることがわかりました。

 ここで、系の時間的変化を記述するハミルトニアン H は一般にいくつかのパラメター x を含んでいるものとし、これとは別に、密度演算子全体の集合 R において、x系に関する情報量を意味するパラメター λ に対応して、R の一意最大集合 D(x, λ) が与えられていて、これが、与えられた情報のもとで状態を表わす密度演算子が存在しうる範囲を表わしているものとします。

 今 λ が任意に与えられたとします。このとき、この与えられた情報 λ のもとで状態を表わす ρ を推計するのですが、ここで前節の結果を用います。すなわち ρ は、ρÎD(x, λ) の範囲で量子統計的相対エントロピー Sq( ρ | ρe )最大にするような唯一の密度演算子 ρx, λ で与えられると考えられます。

 以上の定義のもとで、与えられた xλ に対する内部エネルギー U(x, λ)エントロピー S(x, λ)

(9-4a)  U(x, λ) º tr(ρx, λ H )

(9-4b)  S(x, λ) º k Sq(ρx, λ )

で定義します。ただし (9-4b) に出てくる k は第7節で定義したBoltzmann定数Sq( · ) は次式で定義される量子統計的エントロピーです:

(9-5)  Sq(ρ) º - tr(ρ log ρ) = Sq( ρ | ρe ) - tr(ρ log ρe ) = Sq( ρ | ρe ) - m
å
i=1
pi log 1
—–
 m
= Sq( ρ | ρe ) + log m

 この定義式からわかるように、量子統計的エントロピーは量子統計的相対エントロピーと定数の違いだけですから、密度演算子 ρx, λρÎD(x, λ) の範囲で量子統計的エントロピー Sq(ρ)最大にするような唯一の密度演算子であると表現することもできます。
 さて、量子統計的エントロピーは、この他の重要な性質として、pi £ 1 なので log pi £ 0 ですから

(9-6)  Sq(ρ) º - tr(ρ log ρ) = - m
å
i=1
pi log pi ³ 0

となって、非負であるという性質を持ちます。

 さて、考察している系が2つの独立な系から成るものとします。このとき考察している系を表わすヒルベルト空間 H は、独立な両系を表わすヒルベルト空間 H1H2テンソル積 H1ÄH2 として表わされることになります。
 従って、Hk の完全正規直交系 φ(k) に対して |j(1)iñ Ä |j(2)jñ ( i=1,¼,m1 ; j=1,¼,m2 ) の全体が H の完全正規直交系になります。
 また、系 k = 1, 2 の状態を表わす密度演算子をそれぞれ ρ(k) とし、これらを

(9-7)  ρ(k) = ρ(φ(k), p(k)) º åi |j(k)iñ p(k)i áj(k)i|

と表わせば、考察している系の状態を表わす密度演算子 ρ

(9-8)  ρ º ρ(1)Äρ(2) º åij |j(1)iñ Ä |j(2)jñ p(1)i p(2)j áj(2)j| Ä áj(1)i|

で表わされることになります。また、系の独立性から、ハミルトニアン H も各系に対するハミルトニアン H(k)直和になります:

(9-9)  H = H(1) Å H(2)

 ゆえに、考察している系の内部エネルギーは

(9-10)  U = tr(ρH )

= tr åij |j(1)iñ Ä |j(2)jñ p(1)i p(2)j áj(2)j| Ä áj(1)i|(H(1) Å H(2))

= åij p(1)i p(2)j áj(2)j| Ä áj(1)i|(H(1) Å H(2))|j(1)iñ Ä |j(2)jñ

= åij p(1)i p(2)j áj(2)j|j(2)jñ áj(1)i|H(1)|j(1)iñ + åij p(1)i p(2)j áj(2)j|H(2)|j(2)jñ áj(1)i|j(1)iñ

= åi p(1)i áj(1)i|H(1)|j(1)iñ åj p(2)j + åi p(1)i åj p(2)j áj(2)j|H(2)|j(2)jñ

= åi p(1)i áj(1)i|H(1)|j(1)iñ + åj p(2)j áj(2)j|H(2)|j(2)jñ

= tr(ρ(1)H(1)) + tr(ρ(2)H(2))

º U1 + U2

となり、両系の内部エネルギーの和になります。

 次にエントロピーについて考察しましょう。量子統計的エントロピーの定義と (9-8) と前節の公式 (8-8),(8-13) により

(9-11)  Sq(ρ(1)Äρ(2)) = - tr((ρ(1)Äρ(2)) log (ρ(1)Äρ(2)))

= - åij p(1)i p(2)j log ( p(1)i p(2)j )

= - åij p(1)i p(2)j log p(1)i - åij p(1)i p(2)j log p(2)j

= - åi p(1)i log p(1)i åj p(2)j - åi p(1)i åj p(2)j log p(2)j

= - åi p(1)i log p(1)i - åj p(2)j log p(2)j

= - tr (ρ(1) log ρ(1)) - tr (ρ(2) log ρ(2))

= Sq(ρ(1)) + Sq(ρ(2))

という加法性が成り立ちます。
 そこで、系 k ( k = 1, 2 ) の力学的パラメターと情報量の組 (x(k), λ(k)) に対して密度演算子の存在しうる範囲 D(k) º D(k)(x(k), λ(k)) が与えられたとき、その合成範囲:

(9-12)  D(x, λ) º D((x(1), x(2)), (λ(1), λ(2))) º D(1) Ä D(2) º { ρ(1)Äρ(2) | ρ(k)ÎD(k) ( k = 1, 2 ) }

を考えると、Sq(ρ) を最大にするような ρÎD(x, λ) は、(9-11) の加法性により、Sq(ρ(1)) を最大にするような ρ(1)ÎD(1)Sq(ρ(2)) を最大にするような ρ(2)ÎD(2) のテンソル積 ρ(1)Äρ(2) で与えられることがわかります。すなわち

(9-13)  ρx, λ = ρx(1), λ(1) Ä ρx(2), λ(2)

 ゆえに再び (9-11) により、エントロピーの加法性

(9-14)  S(x, λ) = k Sq(ρx, λ ) = k Sq(ρx(1), λ(1) Ä ρx(2), λ(2)) = k Sq(ρx(1), λ(1)) + k Sq(ρx(2), λ(2)) = S(x(1), λ(1)) + S(x(2), λ(2))

が成り立つこともわかりました。

 以上の結果は、量子論のもとで、内部エネルギーとエントロピーを (9-4) で定義すると、第0節で定式化した熱力学理論におけるち第1法則と第2法則のそれぞれ加法性 (U)(S) が成り立っていることを意味しています。以下、第1法則と第2法則の残りの条件が満たされているかどうかを確かめてみましょう。

 最初に第1法則の (E) を確かめるため、孤立した系、すなわち外界と相互作用を持たず、かつハミルトニアン H が時間的に変化しないような系を考えます。この場合、H の固有ベクトルからなる完全正規直交系 φ を取ります:

(9-15)  H |jiñ = ui|jiñ

 ここで

(9-16)  |ji(t)ñ º e- i uit/ħ |jiñ

と置けば

(9-17)  áji(t)| º ei uit/ħ áji|

が成り立ち、しかも

(9-18)  i ħ
—–
 ¶
t
|ji(t)ñ = ui |ji(t)ñ = H |ji(t)ñ

となるので (9-16)Schrödinger方程式の解になっています。ゆえに時刻 t = 0 において状態がエネルギー ui に対する固有状態 |jiñ にあれば、時刻 t には状態 |ji(t)ñ にあるので、時刻 t におけるエネルギーの観測値 áH ñt

(9-19)  áH ñt = áji(t)|H |ji(t)ñ = ei uit/ħ áji|He- i uit/ħ |jiñ = áji|H |jiñ = uiáji|jiñ = ui

となり、時間が経過しても変化しないことがわかります。いいかえると、系の状態に関する情報量 λ がどのように変化しても系のエネルギーは変わらないということです。
 そこで系のエネルギーを U とします。このとき、密度演算子は、固有値 uiU に等しいような固有状態 |jiñ のみで構成されることがわかります。すなわちパラメター (x, λ) のもとで密度演算子 ρ が存在する範囲 D(x, λ)

(9-20)  ρ º åi |jiñ pi áji| Î D(x, λ)  Þ  pi = 0 ( ui ¹ U )

という条件を満たすことがわかります。この場合でも、pi の総和は 1 ですから、内部エネルギー U(9-4a) で与えられることに注意します。

 さてここで、量子論における断熱変化というものを、外界と相互作用を持たない状態での変化という意味であると定義することにします。ここでパラメター x を固定した状態で (9-4a) 式の微小変化を取れば、U は変化せず、ρ º ρx, λ のみが変化しますから、

(9-21)  0 = dU = d tr(ρH ) = tr((dρ)H )

となります。そこで、一般に x が変化する場合も、2次以上の微小量を無視すれば、ρ の微小変化と H の微小変化を分けて考えることができるので、どのような断熱変化でも、条件:

(9-22)  tr((dρ)H ) = 0

が成り立っていると考えることができます。ゆえに、任意の断熱変化に対して

(9-23)  dU = d tr(ρH ) = tr(d(ρH )) = tr((dρ)H ) + tr(ρdH ) = tr(ρdH ) = tr æ
è
ρ åi H 
—–
 ¶
xi
dxi  ö
ø
= åi tr æ
è
ρ H 
—–
 ¶
xi
ö
ø
dxi 

が成り立ちますが、

(9-24)  Xi º H 
—–
 ¶
xi

はパラメター xi共役な力を表わす演算子とみなすことができるので、この物理量の観測値の期待値を Xi と書けば、(9-23)

(9-25)  dU = åi Xi dxi

となり、これは第0節の (E) に他なりません。なお、断熱変化とは限らない一般の場合の変化は

(9-26)  dU = d tr(ρH ) = tr((dρ)H ) + tr(ρdH ) = tr((dρ)H ) + åi tr æ
è
ρ H 
—–
 ¶
xi
ö
ø
dxi = tr((dρ)H ) + åi Xi dxi

ですから

(9-27a)  d'W = tr(ρdH ) = åi Xi dxi

(9-27b)  d'Q = tr((dρ)H )

が成り立つことがわかりました。

 さて、次に断熱変化の方向についてですが、外部との相互作用がないので、系に加わる新たな情報は無く、従って、これは情報量の減少、すなわち最初持っていた情報が失われる過程であると考えることができます。
 これも最初は x を固定して考え、パラメター λλ' に微小変化したとすれば、情報量が減少するということは、言い換えると密度演算子が存在する可能性のある範囲を縛っていた制約条件が減るということですから、この範囲が広がる、つまり

(9-28)  D(x, λ) Ì D(x, λ' )

が成り立つということに他なりません。
 次に、一般に x が変化する場合を考えると、(9-22) の考察のときと同様に、x のみの変化と λ のみの変化に分けて考えることができ、後者については (9-28) が成り立ちます。

 また前者については、|ji(t)ñt = 0 におけるハミルトニアンに対するSchrödinger方程式の解として時間変化する部分と、ハミルトニアン自身が x の変化により時間変化することによる変化の要素に分かれますが、後者は2階以上の微小変化なので無視できます。
 ゆえにSchrödinger方程式の解時刻 t = 0 において (9-2) で与えられる密度演算子が、時刻 t では (9-16) で定義される完全正規直交系を使って定義される密度演算子:

(9-29)  ρ(t) = ρ(φ(t), p) º åi |ji(t)ñ pi áji(t)|

に変化します。ここで情報量に関するパラメータである λ を固定しているため、pi は変化していないことに注意します。
 ここで、各 |jiñ|ji(t)ñ に対応させるユニタリー演算子を U(t) とします:

(9-30)  |ji(t)ñ = U(t)|jiñ       ( i = 1, 2, ¼ )

 このとき、(9-2),(9-29),(9-30) により

(9-31)  ρ(t) = åi |ji(t)ñ pi áji(t)| = åi U(t)|jiñ pi áji|U(t)* = U(t) åi |jiñ pi áji|U(t)* = U(t)ρU(t)*

となり、それに伴って、密度演算子が存在する範囲も D(x, λ) から

(9-32)  D(x, λ; t) º U(t)D(x, λ)U(t)* º { U(t)ρU(t)* | ρÎD(x, λ) }

に変化します。

 さて、以上の変化に対するエントロピーの変化を計算してみましょう。
 まず λ のみの変化に対するエントロピーの変化ですが、(9-4b) で定義されるエントロピーは、密度演算子の存在可能範囲 D(x, λ) における量子統計的エントロピー Sq(ρ) の最大値に正数 k を乗じたものなのですから、D(x, λ) が拡大すればするほどその最大値は明らかに大きくなります。
 また x のみの変化に対するエントロピーの変化は、(9-30) の左辺も完全正規直交系で、(9-2) の密度演算子と (9-31) の密度演算子は pi が共通ですから、量子統計的エントロピーの値は変わりません。従って (9-4b) で定義されるエントロピーも変化しないことになります。
 以上を組み合わせると、断熱変化ではエントロピーは非減少であること、すなわち第0節の (I) が成立することが確かめられました。

 最後に平衡状態の一意存在について確かめましょう。
 まず我々が考察の対象としている系については内部エネルギーだけは計測しているものとします。これは、どのような λ に対しても

(9-33)  U º tr(ρH )

だけは測定してわかっていることを意味します。これは、パラメター (x, λ) のどんな値に対しても、ある U が存在して

(9-34)  ρÎD(x, λ)  Þ  tr(ρH ) = U

が成り立つことを意味します。これは、

(9-35)  R U (x) º { ρÎR  |  tr(ρH ) = U }

と置いたとき、任意の xλ に対して、ある U が存在して

(9-36)  D(x, λ) Ì R U (x)

が成り立つ、という形に表現することもできます。そこで、R U (x) の部分集合 R'U (x) が与えられていて、任意の xλ に対してある U が存在して

(9-37)  D(x, λ) Ì R' U (x)

が成り立っているものとし、R'U (x) 自身も、あるパラメター λx,U により特徴付けられている、すなわち

(9-38)  D(x, λx,U ) = R' U (x)

が成り立つものとすれば、xU に対する平衡状態は (x, λx,U ) で与えられます。
 この場合、パラメター x のもとで内部エネルギー U を持つ平衡状態を与える密度演算子は、R'U (x) の元のうちで量子統計的エントロピーが最大値を取る密度演算子で与えられることになります。

 以上により、量子論の中に、第0節に挙げた熱力学の条件を満たすモデルが構築できることがわかりました。このモデルに基づいた熱力学的考察のことを量子統計力学といいます。

INDEX   BACK   NEXT