「まち」について

 ここでは、「地域おこし」と「観光まちづくり」

「暮らし・住まい・まちの風景」について紹介しています。

いろいろな「まち」の物語です。

■「地域おこし」■

■「観光まちづくり」■

■気になるまち■

<「大阪」>

<「横浜」>

<「勝山」>

<「柳井」>

<「パームスプリングス」>

 

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■「地域おこし」■

 

 普通、「まちづくり」とよく云われていますが、「まちづくり」だとどうしてもハード先行の感じがするので、ここでは「地域おこし」としておきます。 

 この「地域おこし」の手法として注目されているのが、エコミュージアムや、エコツーリズム、グリーンツーリズム、グラウンドワーク、パーマカルチャーなど欧米から入ってきた考え方です。海外からの考え方なので、無理に日本語に訳すことなくそのままの名称が使われています。各々については研究者がいっぱい居るので、それらの研究者の説明をみていただきたいと思います。 

 これらは主に過疎の農村を対象としたものです。何も拠り所無しに地域おこしを行うよりは、一つの考え方をベースに行った方が方針もはっきりし、意志疎通も図れて、良い方法ではないかと思います。ただ、実際にはこういった考え方が無くてもいろいろな人が工夫して地域おこしを行っていた例は沢山あります。それこそ、その地域発のエコミュージアム、エコツーリズム、グリーンツーリズム、グラウンドワーク、パーマカルチャーなどなのです。 

 いま、一番何とかしなければと試行錯誤している処は、かって栄えた地方の都市なのです。いろいろな処で、住民参加によるエコミュージアムや、エコツーリズム、グリーンツーリズム、グラウンドワークなどの手法を持ち込んだり、食べ物や、花や、イベントなどで地域おこしを考えています。しかし、住民参加といっても日本ではまだ住民参加の歴史が浅く、どうしても行政に引っ張られているようです。行政が主役になると、前例とかカタチから入ってしまうので、なかなか上手くいかないようです。 

 地域おこしの成功例とは何を基準に成功と言うのかですが、コミュニティービジネスが興り、地域の雇用が促進されることではないでしょうか。地域の人たちが一生懸命に何かやっているその過程を評価するだけではクラブ活動にはなっても地域おこしにはなりません。 

 全国には、エコミュージアムや、エコツーリズム、グリーンツーリズム、グラウンドワークなどとは云っていないが、地域おこしで成功している例はたくさんあります。これらは企業や住民が中心になって活動し、行政は活動を支援しています。 

 いま、旅する女性が求めているのは『生活感のある非日常性』なのです。もう「生活感の無い非日常性」では女性を動かすことは難しくなっているみたいです。また、いろいろなところで「ここの自然を売り物にできないか」と云われますが、これは辛いものがあります。素晴らしい自然は日本中どこにでもあるので、余程他には無い特長が無い限り、売り物にはできません。 

 エコミュージアムや、エコツーリズム、グリーンツーリズム、グラウンドワーク、パーマカルチャーなどという名称で行っているわけではありませんが、地域おこしとして注目したいところをいろいろな観点から紹介していきたいと思います。 



恵庭(北海道)

 日本各地で花によるまちづくりが盛んですが、そのほとんどが、まちを花で飾ってまちづくりするというものです。そんな中で、北海道の恵庭市は、まちを花で飾ると同時に、まちの農家が花の生産を積極的にすすめ、花づくりがまちの産業に育っています。恵庭市は、札幌と千歳の間に位置し、人口は6万5千人。昔は農業と自衛隊のまちでしたが、現在では札幌近郊の住宅地としてまた工場団地も盛んになっています。昭和36年、全国的に広がった「花いっぱい運動」を受けて、恵庭でも「花いっぱい文化協会」が設立されました。これが恵庭の"花のまちづくり"のスタートとなっています。また、昭和40年代から農家の間で花苗の生産も始まっています。実際に、花のまちづくりが盛んになってきたのは、20数年前に市の北部の水田を埋めて"恵み野地区"が開発され始めてからです。市内における花苗の消費量も増大し、現在では道内の花苗生産の約50%を占める有数の生産地となっています。また、札幌の大通り公園の花壇に使用されている花の多くは恵庭産となっています。 

 "恵み野地区"のまちづくりでは、最初から歩道を広くとり、その中央に花壇スペースを連続で確保しています。各家々は道路からセットバックして建てており、家々の塀の外側(道路側)にも花壇スペースを確保しています。花壇スペースの確保できない家は、コンテナを並べたり、壁面を利用して立体的に花を植えています。強制的なものではなく、あくまで市民の自主参加による花のまちづくりというかたちになっていますので、市からの補助はありません。 

 かって、市の西側は火山灰大地の痩せた土地で酪農、東部は千歳川流域で水稲が盛んだったのですが、現在では水稲やいも類、てんさい等の生産農家が減り、花苗生産にかわった農家が増えています。北海道では有数の花苗生産地ですが、地域内の消費が多いことも特長となっています。現在8戸の花き農家、7戸の花苗生産農家があり、年間6億1千万円の生産規模があり、花苗生産量は道内一です。 

 "花のまち恵庭"は、テレビや新聞、雑誌などで全国に紹介され、それが励みとなっているのか、市も市民も活動が年を追う毎に盛んになっています。北海道は、観光に力を注いでいるせいか、花による地域起こしを行っている市町村が多いようですが、その中でも恵庭は、市と農家と市民が一緒になって花のまちづくりをすすめており、注目に値する処となっています。その他、北海道の滝上町、由仁町、北竜町、山形県の寒河江市、福島県の昭和村、長野県の坂城町、静岡県の引佐(いなさ)町、和歌山県の南部町、高知県の芸西(げいせい)村、福岡県の八女市なども、産業としての花をまちづくりに活かしているところです。まちを花で飾ってのまちづくりは全国ほとんどの地域で行われています。 




■長坂(山梨県)

 アートによる地域おこしの例となりますが、個人の想いからスタートした芸術村構想が地域の発展に寄与しています。 

 山梨県長坂町にある「清春芸術村」は、昭和30年に日野春村、秋田村、清春村が合併して長坂町が誕生し、その後、小中学校の統廃合が進められ、昭和50年に廃校となっだ旧清春小学校の敷地を吉井長三氏(銀座吉井画廊経営者)が買い取り誕生させたものです。当初は、昭和55年に木造平屋建の長期滞在型宿泊施設とアトリエという小規模な施設によって開村されましたが、その後、56年に「集合アトリエ(ラ・リューシュ)」、57年に「白樺美術館」、61年に「ルオー礼拝堂」と「レストラン(ラ・パレット)」、平成1年に「梅原龍三郎アトリエ」が順次建設されました。 

 「清春芸術村」の中心施設は、「白樺美術館」と会員制の貸しアトリエ「ラ・リューシュ」です。集合アトリエ「ラ・リューシュ」(ラ・リューシュはフランス語で蜂の巣の意味)は、エッフェル塔の設計者ギュスタブ・エッフェルが設計したパリ万博の建物を、モンタルナスヘ移築し、美術の修業にパリにやってくる人のための集合アトリエにしたものを模して建立したものです。 

 清春芸術村は町の観光面における拠点ともなっています。最寄り駅はJRの長坂駅ですが、駅前の観光案内所では、「清春芸術村の長坂町」といっており、いまでは"長坂町=清春芸術村"となっているとのことです。また、「清春芸術村」の近辺には観光客相手の土産物屋や、無人の野菜スタンドが出来ており、観光客が集まっている様子が分かります。「清春芸術村」の実施する、講習会や講演会などの催し物には、地元からの参加者も多く、地域における文化活動のシンボル的な役割も果たしています。 

 「清春芸術村」の建設は吉井氏の手で進められているため、町に負担は生じていないのですが、観光客が増加してきており、周辺道路の整備問題が生じてきています。「清春芸術村」入り口付近に近辺の道路案内国が立っているのですが、近所の家の人が観光客からの質問が多いため自分で立てたとのことで、町としてもそういうサービス的な部分への支援が必要となってきています。近所には、サントリーの白州工場もあってここも見学できます。東京からそれほど遠くなく、自然の中の文化的な回遊ができるということもあって人気があります。 




■能登島(石川県)

 石川県能登島にある「たくみの里  能登島ガラスエ房」は、昭和57年に和倉温泉と能登島を結ぶ「能登島大橋」が完成後、離島対策補助金が打ち切られ、町では自力発展の道を探って、川崎にあるガラス研究所を誘致。町の小中学校の統廃校によって、空いた旧向田小学校・中部中学校の校舎を利用して、昭和59年7月にガラスエ房を開設したものです。石川県は工芸が盛んで、当初は陶芸や塗り物も検討されましたが、陶芸は広く普及しており客は呼べないと、当時まだあまり目立っていなかったガラスエ芸に注目し、川崎から東京ガラスエ芸研究所を誘致。その後のガラスエ芸の人気にのって、「たくみの里」も観光地として人気を得ています。平成3年9月には、隣接して「県立のガラス美術館」も建立しています。 

 施設関係としては、旧小・中学校の「講堂をガラス吹き場」「職員室を売店」「2階建て教室の1階を作業場、2階を作家の宿泊施設(6室)」「別校舎を陶芸工房」としています。廃校になってすぐ施設を作ったため、校舎の傷みはなかったのですが、利用しやすい仕様にするため、内部は相当手を入れたそうです。 

 観光施設として町の活性化については、能登島町の向田地区には「ガラスエ房」と「ガラス美術館(県が設立し運営は第三セクター方式。社長は理事)」がありますが、同じ能登島町には「のとじま臨海公園(水族館他)」「能登島ゴルフ&カントリークラブ(第三セクター方式)」等があり、全体が町の観光資源となっています。対岸の和倉温泉と一体となった、石川県の観光地として育ってきています。 

 最初、取材を申し込んだ時、「地域活性化の成功例として取材したい」と言ったところ「そういう事でしたらぜひおいで下さい」との返事でした。成功例として相当自信を持っている様子でした。最初にガラスエ房の誘致を考えた県と町の先見性、そして、現在の由水常雄氏をリ一ダーとした強力な運営体制には、学ぶべきものが多いようです。また、「ガラス美術館」の収集品と、建物の斬新性と、屋外に展示されている「ガラス彫刻」が観光資源として相当貢献しているのではないでしょうか。 

 

 地域おこしについて、具体的に相談のある方は、ぜひご連絡ください。 内容を確認の上ご連絡いたします。



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■「観光まちづくり」■

 

 「地域おこし」をもっと経済的活性化の面からとらえているのが「観光まちづくり」です。「観光まちづくり」は、言葉の通り観光をテーマにしたまちづくりですが、意識的に使われ始めたのは、平成12年12月にまとめられた国土交通省の観光政策審議会の答申「21世紀初頭における観光振興方策」のなかで主要施策の柱の一つとして掲げられてからのようです。その「観光まちづくり」は、『地域が主体となって、自然・文化・歴史・産業など、地域のあらゆる資源を活かすことによって、交流を振興し、活力あふれるまちを実現するための活動』と意味づけられています。従来の観光開発は旅行業者・宿泊施設・飲食物販などいわゆる観光業者と観光客のためのものであって地域住民のことは考えられていませんでした。そしていま、まちづくりで唱えられていることは『ナンバーワンよりオンリーワン』『住みやすく、暮らしやすいまち』『交流人口の増大』の追求なのです。また、旅行スタイルも、だいぶ前から、「団体旅行から個人やグループ旅行」、「観光施設の物見遊山から参加体験型」、「単なる非日常性から生活感のある非日常性」、「くつろぎ・いやし系へ」と変化しています。

 具体的な取り組みとしては、『地域の定住環境(生活環境、経済面など)』『地域の資源(自然・文化・歴史・産業など)』『来訪者満足度』の持続性の確保が重要となってきます。同時に、観光地のバリアフリー化、情報端末へリアルタイムな観光情報の提供なども行われるようになってきます。

 この「観光まちづくり」の手法として活用できるのが、まさに、エコミュージアムや、グリーンツーリズムの手法なのです。「観光まちづくり」は、経済的活性化という面で「地域おこし」より、もっと積極的な部分がありますが、いま、「観光まちづくり」で注目できるところを紹介したいと思います。

 美瑛(富良野)、小樽、蓼科、仙石原(箱根)、伊豆高原、近江長浜、小布施、湯布院などです。少し前に人気のあった観光地や今でも人気の京都、鎌倉、横浜、神戸、札幌などとも共通点はあります。それは、その土地で回遊することができるだけの施設(美術館、ショップ、食べ物、工房、植物園など)が揃っていて、女性客を集めていることです。「観光まちづくり」のキーワードはまさに『そぞろ歩きのできるまち』なのです。そして、そこにあるものは、『きれい』『かわいい』『おいしい』というワードで括れるモノなのです。女性が散歩したくなるまちなのです。女性が動けば男性も動きます。テーマパークやリゾートもごく一部を除いて人気はありません。ここでも、「観光まちづくり」として注目したいところを紹介していきたいと思います。 

 




■近江長浜(滋賀県)

 長浜は、戦国時代に浅井家が滅んだ後、羽柴秀吉が湖北地方の今浜に城を築き、地名を織田信長から一字もらって「長浜」と改めたところです。長浜は北国街道が市中を南北に貫き交通の要所として、また楽市楽座で栄えたことでも知られています。今も、江戸時代から明治時代の歴史的な遺産がいっぱい残っているまちですが、明治時代にできた洋風土蔵造りの第百三十銀行長浜支店が昭和60年代になって、取り壊されることになりましたが、市民の間に保存の気運が高まり、昭和63年に第3セクター「黒壁」を誕生させ、江戸時代の面影を残す街並みを生かしたまちづくりが始まりました。「黒壁」の由来は、第百三十銀行長浜支店の壁が黒漆喰の壁で、「黒壁銀行」と言われていたことからきています。この「黒壁銀行」の建物を活かして、ガラス作品を展示・販売する「黒壁ガラス館」が誕生し、その周辺にはガラス工房やガラス美術館などガラスをテーマにした関連施設の他、オルゴール、陶芸、土産物、郷土料理、など多種多様な観光客を引きつける魅力的な施設が次々にできています。まさに、平成の楽市楽座となっています。ガラスをテーマにしているところなどは小樽に似ていますが、長浜には明治時代に日本で3番目の官営鉄道として敷設された長浜〜敦賀間の駅が、今も当時の駅舎として残っていたり、まちのあちこちに見所が点在しており、まさに回遊できるまちとして観光客を集めています。観光地につきものの「長浜地ビール」も勿論あります。ただ、江戸時代の町並みが基本となっているため、道路が狭く、休日ともなると観光客と生活道路として利用している地元の車で身動きとれなくなってしまうこともあります。地域おこしには、どこよりも熱心な滋賀県ですので、何らかの解決策はでてくるのではないかと思います。 




■箱根仙石原

 箱根は東京の奥座敷として人気がありますが、小田原方面から箱根の温泉地をもう少し先に行くと仙石原に出ます。その仙石原周辺には高級リゾートホテルやさまざまなミュージアム施設が点在しており、周辺全体が大きなミュージアムのようになっています。各施設が近いところにあるので、一旦仙石原地域に入れば、歩いても動き回れます。御殿場からのアクセスも、道路状況がよく、距離的にもそれ程気にならず、時間的にもあまりかかりません。途中の乙女峠からの眺望も売り物です。その箱根・仙石原の中でも一番人気のある「箱根ガラスの森」を紹介します。 

 「箱根ガラスの森」は、「うかい鳥山」「八王子うかい亭」「とうふ屋うかい」など、独自の雰囲気をもった料理店を展開している鵜飼氏によって作られた文化的施設です。狭い敷地を有効的に活用して「ヴェネチアグラス美術館」や「庭園」を展開しています。美術館となっている建物や庭園内に置かれているガラスのオブジェも、雰囲気作りに貢献しています。芝生に覆われた庭園は花いっぱいの印象ですが、思いの外花は少なく、ガラスのオブジェが花のような印象を与えています。建物内も、小部屋と高低差を多くつくり、観覧者の注意が散漫にならないように工夫していますが、お客さんの多いときは、狭いので見るのにちょっと苦労してしまいます。 

 「星の王子さまミュージアム」は、道路上にも近所にも、遺族の方針とのことで案内看板がまったくありません。仙石原周辺になれていない人には、まったく存在さえも分からない状態です。施設内の案内表示もほとんど無い状態なのでトイレを探すのに一苦労です。施設としては、しっかりつくられていますが、展示室の内部は暗く、特に階段部分では足を踏み外しそうになってしまいます。展示内容としては、しっかり集めたといえますが、星の王子さまのイメージよりは、サン=テグジュペリその人のミュージアムなのです。「星の王さま」につきものの、バオバブの木はありませんでした。施設的にはしっかりつくられていますが、見たい人には見せてあげるというような姿勢が感じられます。そのためか入場料もちょっと高めです。 




■蓼科

 蓼科というと、他のリゾートと違い別荘が中心で、リゾートホテルはあまりありません。ビーナスラインという道路沿いにいろいろな施設が点在していますが、相当以前から施設はつくられていました。何十年も前から別荘地として存在してきましたが、多くの人に注目されるようになったのは、「バラクラ・イングリッシュガーデン」ができてからです。ここが出来てから一気に多くの人が蓼科に来るようになりました。夏場には大阪と東京から毎日直通バスが「バラクラ・イングリッシュガーデン」に来ているくらいです。夫婦で蓼科に来た場合には、ご主人はゴルフで、奥さんがまず「バラクラ・イングリッシュガーデン」に行くと地元の人は云っていました。その他にも「テディベア・ミュージアム」とか「マリーローランサン美術館」「オルゴール美術館」など回遊できる施設がいっぱい揃っています。それなりに下地があるところに人気の施設ができることによって、一気に多くの人が訪れるようになったところです。 

 「バラクラ・イングリッシュガーデン」は、単にバラ園ではなく庭園としての完成度が高いので、冬の枯れた時期でも趣があってなかなかのものです。レストランも物販も一工夫があって楽しいところです。「バラクラ・イングリッシュガーデン」のちょっと先の東急リゾートタウン内には、「現代ガラス美術館」もあります。ガラス美術館というとどこもかしこもヴェネチアガラスなので、ここの現代ガラスはとても新鮮に感じます。 

 

■小布施

  小布施は、町の中にりんごと栗の木がある長野県の小さな町でした。特に、目立った産業や観光資源も無かったのですが、 江戸時代に葛飾北斎が晩年を小布施で過ごして作品を残していったことを記念して、1976年に「北斎館」が誕生してから、長野県以外にも名前が知られるようになってきました。1981年には北斎が逗留していた豪商高井鴻山の屋敷を「高井鴻山記念館」としてオープン。その後、小布施堂や長野信金が私有地を提供しあって、歩行者のための遊歩道をつくり、「北斎館」「高井鴻山記念館」周辺の整備を進め、名物の栗 菓子や、りんご、そば等と併せて観光まちづくりをすすめ、今では年間130万人の人が訪ねる観光地になっています。小布施町内には博物館や美術館が10以上、神社・寺院も多く、まさにそぞろ歩きのできるまちになっています。また「フローラルガーデンおぶせ」を中心に、各家々の庭を楽しめる「オープンガーデン」が盛んで、花のまちとしても全国に知れ渡っています。

     

 

■小樽

 小樽の場合、かっては北のウォール街として栄えていたのですが、近代化の波に取り残され、都市銀行が撤退し、あとには開発されずに残った旧い建物ばかりという状態でした。1980年代に大阪のガラスアーチストたちが、創作活動をするのに適した涼しくて安く借りられる施設を探していたところ、空き家がいっぱいあって涼しい土地である小樽に注目。そして小樽に住み着き創作活動を開始したのですが、古くから地元にあったガラス浮きづくりとも結びついて、ガラス工芸が脚光を浴び、旧い建物の多くが整備されてガラスの展示・販売館や、ガラス工房、ガラス美術館、オルゴール館、工芸館などに変わり、まち全体が博物館のようになっていきました。やがて多くの観光客を集めるようになり、今では一旦は撤退した都市銀行も戻ってきています。一旦沈んだ地域が再生していく様子などは、まるで地域再開発の教科書みたいなものです。特に、北海道に住んでいたこともあり、賑やかだった小樽、どん底の小樽、再生された小樽と見てきているので、特に感じるものがあります。 

   

 

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■気になるまち■

ここで紹介するまちは、自分と関わりがあり、今もちょっと気になるまちです。

 

<「大阪」>

 大阪では、大阪の人にもあまり知られていない処に住んでいました。野江(のえ)という処です。城東区役所のそばです。京阪の野江駅から5分くらいの処でした。  

 野江の駅の周りには懐かしい町並みがありました。東京とか大阪とかいう以前の町並みです。東京でも昔、虎ノ門や人形町のあたりに残っていた、懐かしい露地のある町でした。近所の、スーパーの店員さん、和食の店、本屋、美容院、みんな仲良くしていたのですが、昨年夏に久しぶりに野江に行ったところ、随分変わっていました。変わらないのは、京阪の野江駅だけす。               

   

京阪 野江駅         野江水神社 

 

 いま大阪では、ユニバーサルスタジオや、梅田の観覧車、フェスティバルゲートなどが評判ですが、天満駅前にある、キッズプラザがお奨めです。子供向けの科学館ですが、なかなか良くできています。特に、建物の数階に渡っているオーストリアの建築家であり画家でもある、フンボルト・ワッサーのデザインしたオブジェ(遊具、建物)は圧巻です。

フェスティバル・ゲート          キッズ・プラザ    

 

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<「横浜」>

 横浜は住んだことはありませんが、仕事で4年ほど通っていました。仕事の現場は、みなとみらい21でした。4年の間にオフィスは、桜木町駅前から馬車道、そしてみなとみらい21の工事現場のプレハブ建物と移りました。自分が少しでも係って出来た街は何ともいえません。それだけに多くの人に来てもらいたいものです。 

 横浜も東京も同じだと思っていたのですが、実はずいぶん違っていました。もっとも、最近の新しい横浜は、東京とあまり変わらなくなっているようです。自分が係わった“クインズスクエア横浜”以外にも、みなとみらい21には“横浜ワールドポーターズ”や“横浜ジャックモール”等もあります。

 ヨコハマから目が離せません。ヨコハマはいつも旬の街です。

  

 

 おしゃれで先端をいくヨコハマと、もう一つの別の顔をもった横浜があります。戦後、一番最初に復興して元気だったのが、野毛(のげ)です。ちょうど、桜木町のをはさんで、海側がみなとみらい21で、山側が野毛になります。なんともおもしろい取り合わせです。今、野毛は落ち着いた飲食店の並ぶまちになっています。

 若い人はあまり来ないまちですが、中にはいい店がたくさんあります。それから、野毛には、あの美空ひばりさんの銅像が立っています。

    

 

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<「勝山」>

 

  勝山市は、福井県の奥越地方にあり、江戸時代は小笠原家の城下町として栄えたところです。小笠原家というと小倉藩が有名ですが、勝山の小笠原藩は弓馬の作法の宗家なのです。毎年鎌倉で行われる流鏑馬は、隔年で小笠原家と武田家が行いますが、こんなところに由来があります。また勝山は福井県の織物の産地としても栄え、今でも大きな繊維会社が生産を続けています。勝山市の一部は白山国立公園に属しており、まちの中に温泉が湧いています。味覚も春の水菜、夏の鮎、秋のまつたけと、なかなかの味わいのあるものが揃っています。このまちの見所といったら、まず平泉寺白山神社です。717年に開かれたお寺で(明治になって神社仏閣の分離により神社となっています)、戦国時代に滅びるまでは、6000坊、9万国の領土を持つ一大宗教都市だったのです。現場では発掘作業が進められ、あらためてその規模の大きさに驚かされています。次に2000年夏にオープンした、恐竜博物館です。その規模は世界でも有数の恐竜博物館で、一度はぜひ見ておきたいものです。何しろ、勝山からはイグアノドンやアロサウルス、ステゴザウルスといった恐竜の化石が見つかっているのです。その他にも、旧い町並みやおいしい食べ物、スキーリゾートなど、見所・味わい所・遊び所がいっぱいです。知れば知るほど宝の山のような魅力いっぱいのまちです。

  

 

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<「柳井」>

 

 柳井市は江戸時代に岩国藩、吉川6万国のお台所として栄えた商都です。白壁の町並みが昔の面影を残しています。町の中には昔の醤油屋、油屋、酒屋等の店も残っており、静かな旅情に溢れています。それが、松本清張さんや内田康夫さんの推理小説にこのまちが登場してくる理由ではないでしょうか。また、柳井は西側に丘陵地帯があるため、低気圧の雨雲はその丘陵地帯で雨を降らしてしまい、日本で一番湿度が低く地中海沿岸地域に気候が似ていると云われているところです。そのためこの気候を活かした、花きや果物の栽培も盛んです。切りバラの生産では、東京にある太田市場でも注目度ナンバーワンではないでしょうか。白壁の町並みや、花きや果物の生産販売には市役所も熱心で、昔の商都の伝統が今に続いているみたいです。まさに、これからの時代を活きていくまちではないでしょうか。 

 

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<「パームスプリングス」> 

 突然、海外の町になってしまいましたが、いろいろと印象が強かったのでここで紹介します。

 パームスプリングスは、アメリカのロサンゼルスの東にあり、車で3時間程のところです。名前の通り、“温泉がでる、椰子のある町”です。3回行きましたが、印象に残ったことは町の環境です。砂漠の中に人工的につくった町なので、条例で砂漠のある自然の景観を壊さないようにしているとのことです。町の建物の色は、すべてアースカラー(派手なペンキの家はありません)。高さはほとんどが、平屋か2階建て。一番高い建物は、病院の4階建てでした。一度、飛行機でロサンジェルスまで飛んだことがあるのですが、上空に上がっていくに連れて、町全体が砂漠に溶け込んでいる様子がよくわかりました。町が砂漠という自然の一部になっていました。

 また、パームスプリングスの空港で気がついたこと。飛行艇の旅客機が数機停まっていたのですが、飛行艇は日本にピッタリの旅客機ではないでしょうか。日本の都市の多くは海岸沿いにあるので、海がそのまま飛行場になります。日本の新明和の飛行艇は、高さ3mの波まで着水することが出来るので、空港となる湾内の海は、ほとんどの場合オーケーです。もっとも今ある空港と飛行機はそのまま活用できるので、これからまだ空港をほしがっている自治体向けにぜひ考えてもらいたいものです。そうすれば、佐賀空港みたいな無駄もなくなったのではないでしょうか。神戸にも無駄な空港を作ろうとしているみたいですが一度考えてもらいたいものです。

    

 

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