@「中学受験について」
中学を受験させるために、低学年の早い段階から塾に通わせることもあるようです。でも10歳前の子どもはまだ体がしっかりしていませんし、何より親のあたたかさ、厳しさに包まれて、そのぬくもりを充分に感じることが必要な時期です。親子のスキンシップの中で豊かな情緒を育み、遊びの中で楽しみながら生き生きとした思考力を育むこともできます。(10歳までの子どもの学習については後日述べます。)
一方、10歳を過ぎた頃から12歳までの子どもは、鍛えなければなりません。身体もしっかりし、体力もついたこの頃は、学習の基礎を鍛える最適な時期です。まして、反抗期前ですので、親のコントロールの下で自学自習の基礎をつける、最初で最後の時期です。この時期を見逃さず、しっかり鍛えます。
中学、高校生の低学力、それに伴う荒れた生活の原因の一つには、この時期に学習の基礎、基本を適切に身につけなかったことが挙げられます。まさに「鉄は熱いうちに・・・」のこの時期に、学習の基礎、基本をしっかり身につけさせましょう。
この年齢の子どもは、親が思う以上に体力も集中力も知識欲もありますし、精神的にも10年前の子どもたちよりも2歳程度ませてもいます。ですから、受験への動機づけさえしっかりしているならば、塾に行かせても良い時期です。入塾は4年の冬期講習か、遅くとも5年の夏期講習の頃が適切でしょう。
塾は集団効果を上手に利用して指導します。しかし、集団のみではうわすべりな学習になることもありますので、親の「丁寧な目」が必要です。塾の勉強の復習と学習の定着は家庭でします。
「集団と個」の両輪で学習の「基礎、基本」を鍛え、また、親子でしっかり向き合って心身の成長を育みましょう。中学生になると、親は手出し、口出しは本当にできなくなるものです。
A「塾での勉強について」
塾に行くようになると、やらなければならないことがあまりに多く、「こんなにやらせて良いのだろうか。」と不安になる方も多いと思います。確かに、細かいこと、難しいことをやりすぎているかもしれません。今、鍛えるのは「基礎力」です。難しい問題は思い切って省き、学習の「基礎、基本」を定着させることに専念します。
学習の基本とは、正答率が50%以上の問題をさします。難しい問題が一題できることより、その週のテーマの基礎、基本を理解し、使えるようにすることのほうが、よほど価値があります。「基礎を鍛える」目的を忘れずに、子どもの塾での勉強の痕跡を良く見て、基礎でのミスを親が見逃さないようにしましょう。
また、この時期は私たち親が少し勉強しなければならない時期でもあります。
子どもたちの塾の勉強を、子どものいないときに勉強しなければなりません。「私は教えられないから」ではなく、「教えられるようになろう」と心がけてみてください。
私の経験から考えると、親が子どもを教えることは実は、大変難しいことです。しかし、少なくても基本問題を聞かれた時には答えられるようにしておくことが、親子の信頼関係を築く上で望ましいことと思います。かつて、大手の塾では母親教室があり、親はそこで塾の先生から勉強を教えていただいた時期もありましたが、残念ながら今はそのようなチャンスは減ってしまったのですね。
また、私たち親は一時期、過去問の研究もしなければなりません。目を通すだけではなく自分で解きます。「面倒くさい」かもしれません、「時間がない」のも確かにそうでしょう。でも、自分の子どもの希望する学校の問題を解いてみるとくことは案外楽しいものです。そこには、学校側のメッセージが詰まっています。12歳のこどもたちのために、先生方が心を込めて制作された問題です。
このように子どもとともに勉強すると、受験の実態が次第に明らかになります。情報過多な社会ですが、自分の目で実態をとらえれば、周りにあおられることもなくなるでしょう。
子どもの学んでいることを子ども任せ、塾任せにせず、ご家庭でも把握しておくと多くの不安が解消します。でも、さらに不安な点があるときは、塾の先生にご相談なささると解消の糸口いただけると思います。
B「中学受験における国語の読解問題について」
国語のできる子どもの多くは読書が大好きです。読書が大切であることは言うまでもありません。しかし、読書と国語の問題の読解は同じものではありません。
読書は、人それぞれの読み方や感じ方でその人なりの世界を楽しむものですが、読解問題は、切り取られた文章をいかに正確に読み取るかを問われるものだからです。文章に書いてある現実を分析し、客観的に事実を読み取らなくてはなりません。12歳の子どもに「文章を正確に読む」ことが要求されているのです。
この年代の子どもは(一握りの子どもを除いては)目で読むだけでは、文章を心と頭に入れることはできないと、私は経験から考えています。
ポイントに鉛筆で「印つけ」をしながら、文章を目と手で、心と頭に入れる習慣をつけます。文字ではなく文章を読ませるのです。(3〜4年生はあまり細かくやる必要はありません。)
「印つけ」には、リズムをつけて読むという効果もあります。その子なりのリズムができるまでは少々ピントはずれでもかまいません。「読む」ことが苦にならなくなることのほうが大切ですから。
また、リズムをつけることは読むスピードにも関係していきます。
スピードは、それまでの読書量と、生まれつきの器用さによるところが大きいので、すぐには解決しませんが、リズムを持って深く読むことの繰り返しと、子どもの精神力、集中力の高まりでかなり変化していきます。
国語を大変苦手としている場合は、早めに手を打つことをお勧めします。
集団授業ではなかなかひとり一人を見ることはできませんし、なにより読解はその子の生活習慣や性格を通してなされるものですので、指導には時間が必要です。指導者は、一歩その子の生活に踏み込まなければなりません。しっかり向き合って始めて指導ができるようになります。今までの経験から、1週間1回、2時間の指導で6ヶ月程を必要とします。国語の指導には特に辛抱強さが必要です。(親御さんが側について、じっくりと読み合わせをなされるのならば、それが一番よいでしょう。)
日常生活でできることは、語彙を増やすことです。特に気持ちを表す言葉は親子の会話のなかで学べます。「うれしい」という気持ちの中にも、様々な「うれしさ」があることを日常会話の中に取り入れれば、親子の会話ももっとしっとりしたものになるのではないでしょうか。
C「受験のための国語の読解訓練と日常生活」
一冊の本から切り取られた文章の読解などナンセンスだという意見もありますが、私は切り取られた短い文章ぐらいは正確に読み取れなければならないと考えます。それは生きていくうえの鍛錬の一つにもなると思うからです。
心情の読み取りの訓練は、自分以外の人の気持ちを、思い込みからではなく状況を正確に捉えて推し量ろうとする力になり、人間関係を深めることの基本となるでしょう。また、説明的文章の読解の訓練は、目の前の現実を思い込みをせずに分析し、正確に受け止める力となり、将来、子どもたちが触れるであろう膨大な知識や情報を読み取る基本となります。
中学受験での訓練を受験勉強として終わらせるのではなく、日常生活にも活かしていけるものにしてまいりましょう。私自身も受験だけを、あるいは合格だけを目的とした指導ならば、これほど長く続けることはできなかったと思います。国語嫌いの子どもたちの何人かが国語を好きになった、読書をするようになったという嬉しい事実に支えられてこそ、この月日を過ごすことができました。
D「最後に」
10歳から12歳の間に身につけた「基礎、基本」は子どもの将来の道の選択の巾を広げます。鍛えられる時期に親が本気で「鍛えた」ことは子どもの大きな力になります。たとえ希望通りの結果が得られなくても、ここで培ったものは決して無駄にはなりません。一人一人、芽の出る時期はちがうのです。
小、中学時代の「できる子」が将来にわたっても優秀であるとはかぎりませんし、たとえエリートになったとしても、それが幸せにつながるものでもないのかもしれません。大切なのは、自分を知り、自分の心の深いところを満足させるものを見つけ、生き生きと日々を過ごすことではないでしょうか。その日々の生活が、さらには社会貢献に結びつくならば、それはそれはすばらしい人生の過ごし方なのではないでしょうか。
最後になりますが、最近、実家の蔵から、先祖が江戸時代の天明年間から明治時代の学制発布までの間、「寺子屋」を開いて地域の子どもたちの勉学に携わっていたという古文書がでてきました。多くのお子さんとともに勉学に励み、成長にかかわることができたのも、先祖からの力強い導きがあってこそのものであったことをはじめて知り、大いに励まされました。将来は、先祖にあやかって、子どもたちの学びの場として、我が家の一部屋を「寺子屋」として開放することが私の夢でもあります。